<Header>
<Author: 白居易>
<Title: 縛戎人>
<Format: 樂府詩>
<Year: 1964>
<BookName: 漢詩大系  白樂天>
<Translator: 田中克己>
<style: 現代文無假名>
<style2: 日本現代譯文無假名標注>
<TranslatedTitle: 縛戎人>
<BookPage: 82-88>
<UsedPage: 7>
<Feature: 1, 4>
<End Header>
<Poem>
縛戎人，
縛戎人，
耳穿面破驅入秦。
天子矜憐不忍殺，
詔徙東南吳與越。
黃衣小使錄姓名，
領出長安乘遞行。
身被金創面多瘠，
扶病徒行日一驛。
朝餐飢渴費杯盤，
夜臥腥臊污床席。
忽逢江水憶交河，
垂手齊聲嗚咽歌。
其中一虜語諸虜，
爾苦非多我苦多。
同伴行人因借問，
欲說喉中氣憤憤。
自云鄉管本涼原，
大曆年中沒落蕃。
一落蕃中四十載，
遣著皮裘繫毛帶。
唯許正朝服漢儀，
斂衣整巾潛淚垂。
誓心密定歸鄉計，
不使蕃中妻子知。
暗思幸有殘筋力，
更恐年衰歸不得。
蕃候嚴兵鳥不飛，
脫身冒死奔逃歸。
晝伏宵行經大漠，
雲陰月黑風沙惡。
驚藏青冢寒草疏，
偷渡黃河夜冰薄。
忽聞漢軍鼙鼓聲，
路傍走出再拜迎。
游騎不聽能漢語，
將軍遂縛作蕃生。
配向東南卑溼地，
定無存卹空防備。
念此吞聲仰訴天，
若為辛苦度殘年。
涼原鄉井不得見，
胡地妻兒虛棄捐。
沒蕃被囚思漢土，
歸漢被劫為蕃虜。
早知如此悔歸來，
兩地寧如一處苦。
縛戎人，
戎人之中我苦辛。
自古此冤應未有，
漢心漢語吐蕃身。
<End Poem>
<Translation>
しばられた蛮人 縛られた蛮人 耳たぶに穴をあけられ、顔に入れ墨され、おいたてられて長安にきた。天子はあわれに思われ殺すにしのびず ご命令を出して東南の方の吳と越とに移住させることとされた。そこで黄衣を着た小役人がその姓名を帳簿に書きつけ これを引率して長安を出て宿場つぎの車にのって呉と越とに行く この野蛮人どもは身に切り傷を受け、また顔はやせさらばえ 病気をこらえて歩いてゆくので日ごとに一駅ぐらいしかゆけない。朝食には飢えかわいているので飲み物も食い物もたっぷりとり よるねるときにはなまぐさいからだでベッドやむしろをよごす。それが揚子江を見ると故郷の交河のことをおもいだし 手を垂れ声をそろえてむせび泣きしながら歌った。そのなかの一人がほかの者たちに語った。「おめえたちの苦しみなど知れたものだ、おれにくらべれば」と。 同行した者がわけをたずねてみると 話そうとしながらのどに怒気がつまった。そのいうことは「本籍は中国の涼州だが 大暦年間にチベット人の中におちこんだ。一度チベット人の中へはいってから四十年で からだには毛皮のころもを着て毛皮の帯をしめている。元日だけ中国の衣服をつけることをゆるされ 衣服をきちんとつけ頭巾をちゃんとすると人知れず涙がおちた。内心ちかいを立てて帰郷の計略をしたが チベットでこさえた妻子にもしらせなかった。内々で考えたことは、まだ幸せにも体力がのこっている だけど年とってからでは帰れないのでないかと。チベット人の見張りは兵器をそろえてその上は鳥もとび越えないのに 逃げだして死ぬかくごでかけぬけて帰って来た。昼は身をかくし夜あるいて大沙漠をよこぎったが 雲がたちこめ月光もくらく吹く風に砂がまきあがった。人のけはいにびくびくして青塚にかくれたこともあるが冬の草はまばらだった。こっそり黄河わたった時は夜の氷が薄かった。 たちまち中国軍の鳴らすいくさ太鼓の音をきき 走って路ばたに出て来て再拝して出むかえた。ところが巡視の騎兵はわしの中国語のできるのにも耳かさず おかげで将軍の命令でしばられ捕虜のチベット人にされた。いまは流されて揚子江の南の低いじめじめした土地に向かうのだが きっとあわれんでくれる人もなかろう、予防してもだめだろう。それを考えて声を呑んで仰いで天に訴えるが どうして苦労して晩年をすごそうか。 涼州の故郷は見られないし 蛮地の妻子は棄てて来たのがむだだった。チベット人の中に捕われた時は中国のことをおもい中国に帰ってからはおどかされてとりこの蛮人になった。早くからこうだと知っていりゃよかったと帰って来たのを後悔する。二か所で苦しむよりチベットだけで苦しむ方がよかった。縛られた蛮人 そのなかでもおれの苦労はひどい。むかしからこんな無実の罪はあるはずがない。中国人の心とことばをもってチベット人のからだなのだ」
<End Translation>
<Formatted Translation>
しばられた蛮人 縛られた蛮人 
耳たぶに穴をあけられ、顔に入れ墨され、おいたてられて長安にきた。
天子はあわれに思われ殺すにしのびず 
ご命令を出して東南の方の吳と越とに移住させることとされた。
そこで黄衣を着た小役人がその姓名を帳簿に書きつけ 
これを引率して長安を出て宿場つぎの車にのって呉と越とに行く。
この野蛮人どもは身に切り傷を受け、また顔はやせさらばえ 
病気をこらえて歩いてゆくので日ごとに一駅ぐらいしかゆけない。
朝食には飢えかわいているので飲み物も食い物もたっぷりとり 
よるねるときにはなまぐさいからだでベッドやむしろをよごす。
それが揚子江を見ると故郷の交河のことをおもいだし
手を垂れ声をそろえてむせび泣きしながら歌った。
そのなかの一人がほかの者たちに語った。
「おめえたちの苦しみなど知れたものだ、おれにくらべれば」と。
同行した者がわけをたずねてみると 
話そうとしながらのどに怒気がつまった。
そのいうことは「本籍は中国の涼州だが 大暦年間にチベット人の中におちこんだ。
一度チベット人の中へはいってから四十年で 
からだには毛皮のころもを着て毛皮の帯をしめている。
元日だけ中国の衣服をつけることをゆるされ 
衣服をきちんとつけ頭巾をちゃんとすると人知れず涙がおちた。
内心ちかいを立てて帰郷の計略をしたが 
チベットでこさえた妻子にもしらせなかった。
内々で考えたことは、まだ幸せにも体力がのこっている 
だけど年とってからでは帰れないのでないかと。
チベット人の見張りは兵器をそろえてその上は鳥もとび越えないのに 
逃げだして死ぬかくごでかけぬけて帰って来た。
昼は身をかくし夜あるいて大沙漠をよこぎったが 
雲がたちこめ月光もくらく吹く風に砂がまきあがった。
人のけはいにびくびくして青塚にかくれたこともあるが冬の草はまばらだった。
こっそり黄河わたった時は夜の氷が薄かった。
たちまち中国軍の鳴らすいくさ太鼓の音をきき 
走って路ばたに出て来て再拝して出むかえた。
ところが巡視の騎兵はわしの中国語のできるのにも耳かさず 
おかげで将軍の命令でしばられ捕虜のチベット人にされた。
いまは流されて揚子江の南の低いじめじめした土地に向かうのだが 
きっとあわれんでくれる人もなかろう、予防してもだめだろう。
それを考えて声を呑んで仰いで天に訴えるが 
どうして苦労して晩年をすごそうか。
涼州の故郷は見られないし 
蛮地の妻子は棄てて来たのがむだだった。
チベット人の中に捕われた時は中国のことをおもい
中国に帰ってからはおどかされてとりこの蛮人になった。
早くからこうだと知っていりゃよかったと帰って来たのを後悔する。
二か所で苦しむよりチベットだけで苦しむ方がよかった。縛られた蛮人 
そのなかでもおれの苦労はひどい。
むかしからこんな無実の罪はあるはずがない。
中国人の心とことばをもってチベット人のからだなのだ」
<End Formatted Translation>